▼意識していないだけ
言葉に出すと、たしかにスッキリする。
ただ、私は正直好んであまり使わないし、出来るだけ使わないようにしている言葉だったりする。
もちろん運動をしたとき、身体を酷使したとき、脳みそフル回転したとき。言えば発散の一つになるし、当たり前のように誰でも口にするし、同じ疲れを体感した人と言い合えば、感情の共有になる。
ただ、特に私が苦手なのは、2人しかいない中で、片方が口にしたとき。
理由は、それが愚痴に聞こえてしまったり、ネガティブな感情のはけ口にされた気持ちになったり、自分のせいかと罪悪感を抱いてしまうから。
それまで楽しくて、笑い合う時間を過ごしていたとしても、その一言で一瞬にして「一緒にいる自分が楽しませられなかったから?」「私といるのがつまらないから?」なんて、凹んでしまいがちな自分がいる。
実は、本人は身体的に腰が痛くて疲れたと言っていたりもするし、別に一緒にいるのがつまらないなんて全然思っていなかったりするのに。
なんてネガティブ思考だろうかと思うけど、同じく自分がそんな気持ちになるから
唯一信頼できる家族以外には「疲れた」という言葉は私の中では避けがち。意識すれば出さないようにはできる。
例えば、片方が仕事で「疲れた」と吐けば、家事で疲れているもう方方は「大丈夫、お疲れ様」と相手を労わって、自分が疲れていても言葉に出せなかったりする。
吐き出したのは片方だけ。
それって、平和かな?
みんながお互いを尊重できるなら良いけど、たった一言で誰か何かネガティブな感情を飲み込まざるを得なかったりするなら、代わりに「充実してた!」「頑張った!」っていう自分で自分を労わる言葉に言い換えれば、ちょっとはモヤモヤが減るんじゃないかと思っている。
それか、疲れたと言葉にするなら、笑顔もセットで。
たった一つの言葉でも
他人に吐いて労わってもらおうとするんじゃなくて
自分で自分を労われるような世の中になりますように。
という自己満の話。