ひえみのスピ活用 かるーくかるーく

「自分と仲良く」スピリチュアル。Instagram🔗 https://www.instagram.com/hiemi_supirit ※本ページはプロモーションが含まれています。

必要な時に必要な人が必要なことをしてくれる

▼隣の芝生は青く見える。

そして、人と比較し始めてしまったら、自分の不足しているものにしか目がいかなくなってしまう。世の常。

 

▼昔の自分

「都内でお花見やるからおいでよ」なんて言われて参加したら国内海外のメンバーが200名超えていたとか。学生時代もクラブのスタッフをしたり、サークルを掛け持ちしたり。20代は煌びやかな業界で働いて、毎月のように1週間会社を休んで海外旅行へ行っていたり。常に2カ月先まで予定が詰まっていて、友人との遊びの約束も予約制。

低賃金で稼ぐお金はすべて交遊費に消えていく。バブルでもないのに。リーマンショック後でよくあんな生活ができたものだと今でも思う。

当時から、本当に回遊魚のような生き方をしていた。

 

▼いつも心から取れない孤独感

話していても書いていても、本当に煌びやかな生活じゃないかと言われるけれど、そんな生活のときも、孤独でぼーっとして生きている今も、ずっと抱いているのは「孤独」。消えることのない「不安」。

(不安で孤独が嫌だから、きっと予定いっぱいにしていたんだろうな)

 

環境や人に、どれだけ恵まれているんだろうと理解でいるはず。

でも、つい周囲の他人や知らない街中の人たちを見ては、「私にはないもの」ばかりに目がいってしまう。

欲深いな、とつくづく思う。

 

▼自分が発した言葉に救われる

そんなふうに自分が不安に駆られたとき、今でも思い出すのが昔人から言われた言葉だったりする。

「私、昔人生に迷って相談したとき、ヒエミさんに言われた言葉で救われたんです!

必要な時に必要な人が必要なことをしてくれる”っていう言葉。

それを聞いて、まるで初耳のような感覚だった。「私が言った!?」

 

そんな自分が記憶していない無意識に発した言葉が、今は自分を支えている。

というのも、たとえば、普段どんなときも、「困っている人がいたら、出来るときだけでいいから、自分にできる小さな事だけでもいいから、やってみる」を心掛けて生きていると、本当にいつか自分が困ったときに、不思議と助けた当人じゃなくても、違う人から違う形で助けが入るからだ。

 

実際、これまでも本当にそんなことばかりが起きている。

まだまだ「自力で生きていかなくては」「しなくてはいけない」「こうであるべき」という義務感や閉塞感の中でがんじがらめになるけれど、特に最近、自分が吐血嘔吐を繰り返して、ベッドから崩れ落ちて、身体が動かなくなったときに、それこそ助けが入った。

たまたま仲良くなった人が知識を貸してくれたり、昔からの友人が癒しの空間に誘ってくれたり。たくさんの”人”に救われた。

 

「頼ってもいいんだよ」「なるようになるよ」「ま、いいかって思えばいいよ」なんて、いつも自分が他人にかけている言葉だったりするのに、自分には絶対かけてあげない言葉。それって、他人だから気楽に言えるんじゃないのって思ってたけど、自分に厳しすぎたんじゃないか、っていう考え方の変化。

 

自分に厳しい人ほど、オフはめいっぱいオフにして、思い切り深呼吸して、自然に大笑いできるくらい元気になるまで、ゆっくりしたって良いんだと思えた。

 

身に覚えがない言葉が人を救って、その人がその言葉をお返ししてくれたから、私も救われて。やっぱり人って、いいなって思う。