※伝えたいことなのですが、センシティブな内容なので、読みたくない方は、そっと閉じてくださいませ。
なんとも言えない気持ちで。ネタにすることじゃないけど、みんなに生きるって大変だけど、苦しい事もあるけど、どうか苦しくても、辛くて辛くて息ができなくなっても、涙が止まらなくても、悲しみ囚われたまま、自ら命を簡単に捨ててほしくなくて、書いておく。
父のお世話になっていた同僚がだいぶ前に亡くなり、当時父も周囲も病死だろうなぁと嘆いていた。それが、つい最近その人が実は自ら命を絶ったということが判明し、周囲も父もだいぶショックを受けていた。
だいぶ前に定年も過ぎ、人生これからという時に人からの裏切りに絶望してしまい、選んでしまった道。
そして、ちょうど今朝。父がその話をしたその時、私にはその人がどうやって亡くなったのかが見えてしまった。
「その人…ドアにぶら下がってるんだけど…泣いて、吐いて、放心状態で死んだ魚の目して終わらせちゃってるね…」と言うと、父は「そうなんだよ!詳細は分からないけど、小柄でさ、玄関のドアだって…」と答えた。
お風呂でも薬でもなく梁でもなく。話しながら目の前にでてきた3Dのようなそのドアと彼を見ながら「まだそこにいるよその人…」と私が言うと、父もそうだと思う、あれじゃあがれないよな、と言った。
あのね、あのね、みんな誰だって、身体が動かなくなるくらい人生に絶望したことはあると思う。私も、ある。
だけど、悲しみに囚われて霊になった魂たちを見てきて、身体を乗っ取られて実感して知ったのは、結局今度は泣く身体が無くなって(泣くって本当に浄化作用があるみたい)、悲しいという気持ちだけが残って、何年何十年、何百年と、ずーっと悲しみ続けることになるってこと。
今が苦しくても、もしそこで終わらせてしまったら、もっと長い期間悲しむことになるんだよ。
それなら、【あと数日、数ヶ月、数年、笑顔になれるまで生きてみませんか?】って、本気で思う。
とにかく寝たらいい。目が覚めたらちゃんと朝が来て、太陽の下で一回深呼吸してみて。
明日がくるのが怖くて眠れなくても、あったかいお風呂に使って、ふーっと息を吐いて吸ってみて。
とりあえず、一回、自分の腕で自分を抱きしめてあげて。「よく頑張ってるね」ってよしよしって、声に出して自分で自分を褒めてあげて。
例え他人に傷つけられようとも、ズタボロにされようとも、自分を一番大事にできて守れるのは、自分自身だから。
みんな、生きてるだけで偉いんだ。
もしそれを乗り越えられたら、その経験は誰かを支えられる強さに変わるかもしれない。
何の宗教でもないし、何の強制でもない。
ただ、生まれる前からそばで見守っている守護霊様や、ご先祖様や、この世に送り込んでくれた白髭のおじ神様や、いろんな存在のことも、忘れないで欲しい。
太陽になって、そよ風になって、自分の腕になって、彼らが抱きしめてくれている…って想像してみてほしい。ファンタジーでもいいから。
生きよう。生きぬこう。
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